2015/09/270 Shares

自己紹介

「健やかなる幸せのために」というブログを運営している「モン介」と言います。

 

ここでは私「モン介」が、どんな人生を歩んできたのか簡単に紹介させていただきます。

 

~生まれ・育ち~

生まれも育ちも寒い地方で過ごしました。

冬は雪がふり、夏は暖かい。秋と春が少し短い地方です。

もちろん日本国内ですよ(笑)

 

~幼稚園時代~

何に対しても興味津々の活発な子供。

気になっている実は何でも構わず口に入れ味を確かめました。

美味しい物が見つかるとビニール袋一杯に詰め込み家族に持って帰る日々。

 

持って帰るころには実が潰れ袋の中はジェル状の液体が、、、

もちろん親に病院に担ぎ込まれたことは楽しい記憶です。

 

ですが、ジェル状になった液体の正体がわからない上に体に異常が出ていないので

お医者さんも困ってしまい診断はつかず、出た薬は整腸剤。

 

親には酸っぱく「わからない物を食べるな」と言われても、いつも好き放題「味」を確認していたやんちゃ坊主です。

 

性格は明るくお喋り。どこに行っても知らない人と話を始めるので親は大変だったことでしょう。

 

 

~小学校時代~

体は平均より大きく、勉強も運動もそれなりにできた時代。

好きな教科は理科と図工。

 

物を作るのが大好きで一人で黙々と作業をする子供でした。

算数も得意で、一人で問題を解くのが好き。

 

一人で作業をするのが大好きなのに、ガキ大将チックなグループのリーダーもやっていたヤンチャ坊主でもあったこの時代

授業中はお喋りが止まらず席を一人島にされても、めげずにモノづくりにふける。

授業を多少聞いてなくてもテストの点数は悪くない。

 

親にも先生にも手を焼かせた時代でした

 

~中学校時代~

ヤンチャ坊主も中学校になり、部活という括りに入り規律に厳しい生活を送り出します。

小学校からやっていたスポーツに花が咲き初めていた頃です。

 

そんな中、大きな人間関係の問題も、大きな行き詰まりもないのに不登校に、、、

傍から見たら、何が問題だったのかわからない状況でした。

そんなものだから自分でも良くわからない。

症状は腹痛。それをうまく対処できずに家に帰る。

緊張からくる「過敏性大腸炎」という診断が下り、治療を始める日々。

 

家を出て学校まで行くまでに腹痛で前に進めなくなる。

親も先生も八方塞がりの日々。

 

そんな私は心療内科に通い始め、治療を始めました。

効果はすぐに出ず、学校に行けるまで数か月。

この頃に、何が問題かが分かってきました。

 

問題が分かっても回復しないのが、この病気。

学校に行けるようになっても保健室登校や短時間登校が多かった日々。

あの頃は色々な事が辛かった。でも、今思えば対処法は沢山あった。

それは自分が成長したからかもしれない。

 

やっと中学最後の数か月、フル通学ができるようになり快方に向かいます。

 

ですが、待っていたのは高校受験。

不登校をしていた時に勉強に励んでいた訳でなく、学力は著しい低下をしていました。

何より学力診断用のテストを受けていないので実力が全く分かりません。

ですが、教科書を読んでも内容が分からないので学力はかなり低かった。

 

少しでも努力を続けようと頑張り続けた日々。奇跡的に最後の追い込みが功を奏し高校に合格しました。

 

 

~高校時代~

ここからはハッピーだった!!

 

なんてことはなく、現実の厳しさを痛感します。

遅れている学力は勉学に支障をきたし、入学して1か月後に行われた学力テストで最悪の結果をたたき出します。

テストの結果は「下から数えて指の本数で数えれる順位」でした。

 

授業も分からず、新しい人間関係に負担も大きくなり、同じ中学出身者と付き合いが上手くいかない結果

「過敏性大腸炎」が復活。そこから不登校にはならなかったですが短縮通学が頻発。

 

出席日数が足りなくなりそうで学年主任に親と一緒に呼び出されたことは忘れません。

その時の学年主任の言葉は辛かった

 

「お前なんで全日制の学校に来たんだ?定時制の方が良かったんじゃないか?」

 

この言葉には私だけでなく親も涙を流しました。

「お前は普通の高校に来る資格はないんだよ。めんどくせぇな」

そういわれた気がしました。

 

悔しかった、親の涙が何よりも、、、

 

それを期に気合で登校し、病気も治った!!

 

と言えると嬉しいのですが、そんな甘いことは起きません。

だから、とりあえず勉強だけは頑張った。

どんな時でも勉強だけはしました。

 

その結果、努力は実を結び学力は向上。

その結果に自信を付け、過度の緊張は緩和する傾向に向かいました。

そして、「過敏性大腸炎」も治り入学半年後には普通に通学できる生徒になりました。

 

 

ここで補足ですが、実はあの時の学年主任の「あの言葉」は本当は違う意味だったんです。

後に色々衝突し真意を確かめることが出来ました。

それは長くなるので、また違う機会にでも、、、

 

一旦いい方向に向かえば成長は続くもの。

高校入学も危うばれた私も大学を目指します。

学力は向上したものの、一旦ストップしていた物を取り戻すのは難しかったですね。

 

高校のレベルも低かったので高校内では学力レベル高めでも全体的なレベルでは問題が多かった。

でも、諦めず努力した結果、どうにか志望校に合格できました。

 

~大学時代~

志望校に合格できた私は意気揚々と新生活を始めます。

 

ですが、結果は辛かった。

やはり勉学で行き詰ったんです。そりゃそうです。穴が沢山ありすぎた。

 

全然ついていけない授業がある中、悪戦苦闘しながら頑張る日々。

ですが、中学、高校での経験が実を結び通学が出来なくなることはありませんでした。

 

その反面、「頑張れば何とかなる」と変な自信がついてしまった時代です。

勉強は、方法を間違えず努力し続ければ多少なり結果が出る世界。

それを人生全てに通用できると考えていたころです。

 

後に大きな壁に押しつぶされるとは知らずに、、、

 

 

~社会人時代~

大学での頑張りもあり、入社できたのは大きな会社。

同期は有名私立や旧帝大もいて、出身校だけ聞いただけでもちびりそうでした。

 

もちろん三流大学出身の私が叶うはずもなく大変な思いをしました。

それでも、「天才とは違い、馬鹿は体力でカバーしなきゃいけない」と無理をし続けたのが間違い。

 

天才たちは勤勉です。

何をしても勝てなかった。

 

結果、働き過ぎで過労からノイローゼに。

一旦、休職することに。

 

 

この時、様々な事を考えました。

なぜなら、天才たちもノイローゼになる人はいたからです。

厳しいノルマもありました。同期や上司は凄い力量の人ばかり。

さらに、人情味もあり大変いい人ばかり。

 

ですが、厳しいノルマを達成するため全員が全員厳しい戦いをしていました。

 

私は率直に自分の今後の人生を考えたんです。

将来、上司の方々のように激戦を戦い続けていくのか。

 

答えは簡単に出ませんでしたが、復帰した後も悩みは続きました。

 

色々考え、悩んだ日々。

出した結果は、その道から降りることでした。

 

 

 

プランもなく道から降りた私は結構大変でしたが、現在では、違う会社で働いております。

 

ですが、色々な悩みは晴れた訳ではありません。

これからも自分の人生を問い続けていくんだと思います。

 

おそらく、皆さんも同じですよね?

「これでいいのだろうか」という疑問は誰の心にもあることです。

 

そんな疑問の答えは他の人の経験や体験だったりを参考にしつつ、自分の蓄積情報を基に出していくんだと思います。

間違っても少しずつ正しながら、色々な試行錯誤をして、、、

 

 

私は転職活動中、やってみたい仕事をがありました。

それは、私のように苦しんでいる人々をサポートするお仕事。

 

結局、トライして見たものの資格や学歴が必要な世界。

畑違いのキャリアを積んできた私はキャリアチェンジすることはできませんでいた。

本腰入れてトライするには時間がかかりすぎる分野。

だから、直接的なサポートをする仕事に着くことはできず積んだキャリアを利用して再就職したんです。

 

ですが、諦めたわけではありません。

現在は、個人の情報発信が簡単になっている時代。

やろうと思えば、発信できるんです。

 

ともなれば、やらない手はない!!

そう思い、このブログ「健やかな幸せのために」を始めることにしました。

 

自分の経験や、得た知識。

これが少しでも多くの人々の役に立つことを夢見て運営していきます。

自分のスキルアップのために、心理学系の資格も勉強していくつもりです。

 

未熟な私ですが、これから宜しくお願いしますね☆

 

皆さんにも幸せな日が沢山訪れることを祈ってます!!